「ひめゆりの塔」★1/5

Kakeru2005-03-09

実際にあった出来事を軽々しくもてあそんでフィクションどころか、徹底的なプロパガンダにしてしまう今井正監督の無軌道ぶりは相変わらず。
史実をねじ曲げた演出も「正義」として賞賛されるのがサヨク。史実を俎上にしただけで批判されるのがウヨク。



ひめゆり部隊の悲劇、それ自体は今さら言うまでもない。そして、今井正流悲劇の「演出」のため、いいように使えてしまうほど軽々しい題材ではない。
しかし彼のお家芸、観客を自説に着陸させるためならタテのものもヨコにするという強引さは、『海軍特別年少兵』の時となにも変わっていなかった(拙blog『「海軍特別年少兵」★1/5


※以下はネタバレを含みます


クライマックス直前の一時のだんらん。女学生たちは円座になって琉球民謡を歌い、中心では一人が琉舞を踊る。
しかし、当時沖縄では母語であるウチナーグチを話すことを禁じられていた(興味のある人は「方言札」というキーワードで検索してみてほしい)。ましてや民謡などもってのほかだ。
そこが、日本の沖縄政策の理不尽さであり、だからこそ、動員女学生たちが、摩文仁の丘から飛び下り、自決する直前に先生と「ふるさと」を歌った、という史実がより悲劇性を帯びる。

ひめゆり部隊の生存者に尋ねた人がいる「どうして琉球民謡などの、沖縄の歌ではなかったんですか?」と。
「私たちはもうウチナーグチを話すことができなくなっていたんです。学校でもどこでも話すことを禁じられていましたから。だから、みんなが歌える歌というと本土の言葉の唱歌だったんです」


自らの主張表現を受け入れさせたかったとしたら、なにも事実を歪曲したり、強いてミスディレクションを誘うような不誠実な手法にたよらずとも、史実と正面から向き合いさえすれば、より自然にメッセージを伝えられたように思える。

そして、ラストシーン。ガマから脱出しようとする兵士と女学生を、アメリカ軍の機関銃が掃射。無抵抗でバタバタとなぎ倒されていく様を繰り返し写し出し、そして映画は唐突に終わる。そんなアンチクライマックス、尻切れトンボで逃げるのは映画的にどうかと思うし、そもそも史実は前述の通りなわけで、その方がよほど悲劇だったのではないだろうか?
史実を曲げて銃殺させたのは、一体何のためなのか。おそらくは彼が描いた絵に観客を導いたときに、悪玉をより極悪な存在にするための「演出」なのだろう。


そして流れるのは、さだまさし

♪しあわせですか……そりゃあ幸せですよ。まがりなりにも平和な時代に生きていられるんですから。
でも、今井正に聞いてみたい。なりふりかまわず反戦反日と鐘を叩いて触れ回って歩いて、しあわせですか?(CinemaScapeひめゆりの塔」拙コメントより)

ひめゆり記念館にある慰霊碑(写真)
ここを訪れて、女子挺身隊の生き残りのおばあに話を聞けたのは貴重な体験だった。沖縄本島を訪れるチャンスがあったら、ぜひ足を運んでみてほしい。

余談になるけれど、ガマの直上に作られたこの慰霊碑の写真を僕も銀塩カメラ撮ったけれど、いわゆる心霊写真の類いになっていた。
恐怖感の類いは全く感じなかった。むしろ、それが当然のように思えただけだった。