未必の故意か、確信犯か

Kakeru2005-07-05

先日書いた「ああムラカミよ、君を泣く」を、当の「村上モトクラシ大調査」にトラックバックしたことから、そちらからの大量のアクセスがあった。

もちろん、これも「トラックバックによるトラフィックが増加した例」になるわけだけれど、バトンがトラックバックスパムになりうる点を批判しているからといって、こういうアクセス全てを否定しているわけではない。
アクセスを逆にたどったりすることで、バトンへの賛否両論を色々な形で見つけることができたのは、トラックバックのライトサイドの一つだろう。


以下、「バトン批判」批判の要旨についての考察。


■『形がチェーンメール的であっても、バトンの存在意義は「増殖」ではなく「他者への興味」にある』

「他者への興味」があったら、相手の意向を全く気にせず、無限連鎖構造の片棒かつぎとなるトラックバックなりメールを送りつけても良い、というのだろうか。
これでは、ネット社会でのコミュニケーションの「善性」だけに狂信的になっているようにしか見えない。
目的が正しかったら、手段は選ばなくてもいいというのであれば、これは立派な「他者への不寛容」だ。


チェーンメールのようにコピーが出回るのではなく、読み物として楽しめるからチェーンメールとはまったく別物。


限定された人間にとって内容が「有意義」であれば、何をやってもいいし、どんな結果になってもかまわない、ということになれば、前項と同じように狂信的でもあり、ファッショであるようにも見える。

これも「自分が楽しいことは誰でも楽しい」という独善を押し付ける「他者への不寛容」だろう。
もっとも、バトンを渡したり方も渡されたりしている人の大半は、本当に「楽しんでいる」のかもしれないとも感じた。この点は後で触れる。

もちろん、バトンは独裁者やカルトのように人を殺すわけではない。
しかし、構造的に他者の良識と時間を一方的にキルしてしまうことは否定できないはずだ。


■『トラックバックなどで増えるトラフィックは数%程度。なので回線やサーバの容量的には想定の範囲内


これについては前回(「押し売りイノセンス」)書いたように、実際問題NTTドコモがかけているアクセス制限(かけていないとしても、コンピュータや他キャリアからドコモへ送信したメールが、現実問題として到着に二日もかかってしまうこともある実状)を考えたときに、「想定の範囲内」という捉え方には疑問を感じる。

そして、それ以前の大前提として、バトン=チェーンメールの問題点は「無限連鎖」という構造にあるのであって、トラフィックの増加という「数字」に本質があるわけではない。

トラックバック(あるいはメール)というトラフィックの増加は、コミュニケーションの活性化の一つの形だろうし、それ自体は歓迎されるべきことだろう。
しかし、無限連鎖構造を前提としている点において、バトンはチェーンメールと同じように、ダークサイドに堕ちてしまっているはずだ。




それに、一日に一件だけが累乗倍増えるという「消極的」仮定で計算しても、一週間で60,625件になってしまうわけで、それがはたして数%の増加にとどまるだろうか。
はてなキーワード」の「Baton」だけでも20以上が挙げられているので、仮に20でスタートさせたとして、20件が一週間で1,212,500件になってしまう……はずなのだが、そうはなっていないようにも見える。

これは一つの仮説だが、同じ人がいくつもの種類のバトンを回していたり、同じバトンがまた帰ってくるということを繰り返している部分もあるのではないだろうか。
例えばアムウェイニュースキンを扱っている人が、MIKIプルーンや高級鍋セット、体型補正下着といった他のマルチ商法に手を出していることは、ままある。
構造的にはそうした循環構造、閉鎖構造を持っているため、そこまでのアウトブレイクは無い、ということなのかもしれない。

もう一つ思い出したのが、日本の新興宗教の話だ。
ある資料によると、日本の新興宗教の信者数を単純に足し算していくと、日本の人口を大きく超えてしまうということだった。
まず、宗教団体が信者数を過剰に発表している可能性もあるわけだけれど、一方で複数の団体に入信しているケースも多くあるから、という面もあるという。
これも前回触れた「バトンの閉鎖性」を考えたとき、この「一見広がっていくかのように見える友達の輪」という構造の存在は、示唆的だと思った。


今回、本項目の見出しに、「誤用」と指摘されることの多い「確信犯」という言葉をあえて使ったのは、こんな連想をしたからだ。

SNSmixiに、こんなコミュニティを見つけた。


■『各種バトンのゴール!! 』
バトンを貰ったらこちらへゴールしてください
あなたはアンカーです!!

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アンカー、つまりゴールまで走る(自分はお題に答える)けれど、もう誰にもバトンは渡さない、ということらしい。
たしかに、次の5人には回していないにしても、お題に答えてしまった時点で、このシステムを部分的に肯定していることになるだろうな、と思った。