「海軍特別年少兵」★1/5

Kakeru2005-02-13


ひめゆり記念館でガイドのボランティアをしているおばあや、広島を体験した被爆者は、ただ淡々と事実を語る。そして、その静かさが強いメッセージになる。
なりふりかまわず、声高に扇情的なプロパガンダをわめくのは、カラッポのバケツ。



これでもかと執拗に描写されるのは、国家に搾取される弱者としての国民。そしてあくまで非人間的に戦争を遂行しようとし、体制によって国家を護持しようとする国家、軍隊。


※以下はネタバレを含みます


特年兵・橋本の姉(小川真由実)は勾留された警察署で語る。「私がどんな悪いことをしたって言うんですか」
脱走兵と逃走しようとしたのだから、それは明確な犯罪だ。
しかし、この作品では庶民は全て善、彼等を搾取する国家は全て悪。だから当然のことをしたまでだ、ということになる。

大東亜戦争の日本は全て悪」という司馬(遼太郎)史観に輪をかけた硬直思想を振り回し、それが真理のように振る舞う独善に存在余地がある社会というのは、それもまた一つの位相の歪みだろう。
今井正監督がバケツを叩いてわめいている様は、街宣車で無意味な騒音を垂れ流している硬直右翼と変わらない。国家=悪、国民=善などという二色に色分けされた社会があるわけがない。しかし、彼にとっては、自らの語るカリカチュアの演出として必要なのだろう。

クライマックスの硫黄島の戦闘でも、米軍の攻撃開始から数日で、日本軍守備隊は壊滅的な打撃を受けた、というナレーションが入り、その後守備隊司令官、栗林中将から大本営に玉砕決行の打電があったことを傍受、という描写がある。
しかし史実では、米軍の攻撃開始から玉砕決行の打電までは1ヶ月の時間があった。
硫黄島や沖縄の戦闘については、欧米で製作された記録映画の方がよほど公平なスタンスで事実描写がされているというのはなんとも皮肉なことだ。
もちろん特年兵(少年兵)が硫黄島で多数戦死しているのも事実だ。しかし、彼等に対する憐憫の情を事実誤認を誘ってまで惹起しようというのであれば、不誠実極まりない。監督が自らの信じるところに従って反戦反日映画を撮るのは自由だが、事実関係を誤解させるようなミスディレクションを手法として選択すれば、それはデマゴーグによるプロパガンダに堕す。

ホラこんなにかわいそうなんだ! とセンチメンタリズムを振り回すだけでは、死者に対する尊厳は地に落ちる。特年兵たちの死は何から何まで犬死にだった、とでも言うのであれば、現代の日本に生きる我々の生は全て犬の人生だ。

あの戦争を語るなら、おばあのように、被爆者のように、静かに、そして重々しくあるべきだろう。平和を、反戦を訴えるというのは、そういうことだ。(CinemaScape海軍特別年少兵」拙コメントより)



海軍特別年少兵 [VHS]

海軍特別年少兵 [VHS]

ひめゆり記念館でガイドのボランティアをしていた元挺身隊のおばあ。
震洋特攻隊の生き残りで、被爆者の高校の時の下宿のお父さん。
彼等との個人的な出会いがなかったら、こういった感情的、激情的なセンチメンタリズムこそ「反戦」だと思っていたかもしれない。


真実は、いつも小さな声で語られる。