「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」★2/5

Kakeru2005-01-15


70年代への「こだわり」や「憧憬」がテーマとなると、世代的な共通項が無く、アニメの『しんちゃん』への思い入れも特に無い僕……。
『しんちゃん』世界とは不釣り合いと思えるプロットや、平板すぎる描画に違和感を持ちながらの鑑賞は結構ツラかったです。



前述の世代格差と「思い入れ」マターに加え、私は地方出身者(※1)なので、「板塀」一つ見たことがなく、モチーフのほとんどに全くカスりもしない。
それらが混然一体となって単純に「?」としか思えない部分もあったので、高評価の批評についても、考察すること自体が難しいくらいです。

しかし、例えば泉麻人の懐古的エッセイや、当時の風俗やテレビなどについての文章なら、全く知らない世界への興味を持って楽しむことができました。それができなかった……ということはこの作品にはそれだけ普遍性のあるパワーがなかった、ということだと思います。

それに、「永遠の時間よりも、限りある時間の方がすばらしい」というメッセージにしても、例えば同主旨の『銀河鉄道999』が、あれだけ奇想天外な設定をちりばめ、それでいてあれだけの普遍性を持っていることを思えば、やはりこの作品は舌足らず、力足らずということになるでしょう。

※1──具体的には北海道です。というわけで、気候区分や動植物の分布、食卓にあがる食べ物……何もかもが本州以南とは違います(沖縄と位相が全く逆になったようなものです)
板塀だけではなく、例えば夏のランニングシャツに半ズボンというスタイルにしても、後から客観的に認知した知識や風俗でしかありませんでした。


そして、そんな枝葉末節ではないところで、『しんちゃん』に笑わせてもらおうと思っても……背景や効果には劇場作品ならではの豊富な時間と予算が使われているのに、キャラクターはあいかわらず書き割りのようなセル感ただようキャラクターたち。あそこまで陰影を排した人物がどう動いても、どうしてもノセてもらうことはできませんでした。

劇画的な背景に、あくまでマンガ的なキャラが浮いてしまっている場面が多すぎたのでは? ギャグアニメとして考えても、リアルタイムで観ていた『バカボン』や『ど根性カエル』ですらあそこまで平板な絵作りではなかったはず(……といったところで私の「郷愁(のようなもの)」が刺激されてしまった? にしても)


たしかにプロットはすばらしいかもしれない、脚本もよくできているのかもしれない、でも、ストーリーだけでいいのなら、それを映像作品にする必然はどこに? ということになってしまう。

原恵一の脚本と演出はすばらしい。それは私も同感です。だからこそ、原作漫画の本歌とりにもならない形で『しんちゃん』の作品を「創造」するのではなく、オリジナリティーのある作品を見せてほしいと思います。

テレビアニメの『しんちゃん』をほとんど観たことが無い僕にとっては、『しんちゃん』はあくまでもルパンが連載されていた雑誌(「週刊漫画アクション」)に載っていた漫画で、それは韓国では青年コミックに指定されてしまうくらいの毒を持ち、ブラックジョークの世界も持ったオトナの漫画です。

こういった形で映画作品にすることで、オトナと子供をロンパリにやぶにらみした作品にするのは、既にメタファーになってしまったものをさらに変身させて元に戻そうという本末転倒な試みにも見えてしまいました。
CinemaScapeクレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」拙コメントより)

「万博共有世代」というのがあるとして、その次はあるんだろうか?

いろいろと思いつくのはあるけれど、どれも万博ほどの存在感はないような気がする。