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熊川哲也は稀代のダンサー。しかし、「ノーブル」ではない。という話の続き。

かつて、クマテツを「異形」と表現してくれたのはボイス母様。
ダンサーとしてキッチリ磐石な地力とテクニックを持っている彼を、そういう言葉で表現するには少し抵抗もある。
でも、ビジネスマン、あるいはトリックスターとしての彼を考えたときに、これだけのダンサーであるからこそ、そのコントラストが彼を“異形”に見せてしまう、という面はあると思う。

1997年、イギリスロイヤルバレエ団(以下英ロイヤル)は、本拠地コベントガーデン(ロイヤルオペラハウス)の改築で事実上の活動休止に入った。
舞台を失ったダンサーたちは、自分のスキルを維持するため様々なバレエ団に客演するなど、踊る場所を探して行くのだけれど、これを機会に退団や移籍をしてしまったダンサーも多い。
熊川哲也もその一人だった。
商品価値にやっと気づいた日本の芸能界やメディアのアプローチも影響したんだろう。芸能事務所に所属したり、テレビ局のバックアップで公演を行ったり、彼の「バレエ」は大きな資金が動くビッグビジネスになっていく。

結局、彼はダンサーとして生き続け、コベントガーデンの完成を待つよりも、東京とロンドンに同じフェラーリを1台ずつ置いておけるような生活を選んだのだろう。
英ロイヤルではキャラクテール。しかし、日本で踊ればノーブルどころか王様になれる。マネージメントも、資金でも、いくらでもついてくる。

1996(日本バレエ協会)、97年(新国立劇場)と、彼は日本で「眠りの森の美女」のデジレ王子を演じている。凱旋帰国した一流ダンサーに、日本のファンはダンスール・ノーブルを期待した。
しかし、そのころから彼の「サポート下手」という話も出てきてしまう(もちろん観客からだけではない)
もちろん、純粋なテクニックな問題とは思えない。ただ、誰かにそういうことを言わせたくなる何かがあったのだろう。
少なくとも、ファンが期待するノーブルと、世界一のキャラクテールである彼のギャップも要素の一つとしてあったと思う。

そして、「日本バレエ」の熱心なファンの中には、熊川哲也を手放しでほめるのは素人、のような考え方も出てくるようになる。バレエとしては例外的に高いチケット(18,000円ということもあった)を売り切れにしてしまう層は、今や、いわゆるバレエファンとは微妙にずれる。

もしかしたら、彼は本当にサポートが下手なのかもしれない。
でも、それならパートナーをヴィヴィアナ・デュランテのようなベテラン、下村由理恵のようなテクニシャンにすればいい。今や彼は舞台の上を全てをコントロールできる立場にあるのだから。

バレエ不毛の荒野の北海道から東京を経由しないでロンドンへ。そして日本バレエ村の門閥と全く無縁のところで、世界一のダンサーになった熊川哲也
おそらくは、これからも彼はナンバーワンであり続け、そして決して日本バレエ界のトップに立つことは無い。
おそらく、熊川哲也は何もかもわかった上でやっているのではないか? 彼を「トリックスター」と言ったのは、つまりそういうことだ。 

彼の芸術を、ビジネスを、悪く言う人は多い。
でも、彼が日本のバレエ界にこれから与える最大の影響がこれからわかる。

Jリーグ開幕の熱狂を見て育った世代が、今や日本代表を支えている。
 「カズ」に憧れてサッカーを始めたように、「クマテツ」に憧れてバレエを始めた少年たちがいる。日本のバレエは、10年後から変わっていくだろう。
毀誉褒貶のある熊川哲也を、手放しで評価できるとしたら、その未来でだ。

……こんなつもりはなかったのに、なんだか真面目な話になってしまったなあ。
次はもっと「不真面目」なバレエの話を書きます。