「PRESS」というヨソもの

Kakeru2005-05-22


暗いうちからゴソゴソと起き出して、深夜番組を見ながら身支度をして……と、どうも億劫な朝になってしまう。
朝ご飯は食べられそうも無いので無理矢理菓子パンをつめこんで出かける。
タクシーがたーくさん走り回ってるけれど、きっとみんな「戻り駕篭」みたいなものなんだろうなあ、などなどボーッとした頭で考える。

境内で神事を待つ。
拝殿の縁の下でウーロンハイを飲みながら……っていうんだから、ナマグサな氏子もいたもんだ。
でも、この祭り全体がそんなふうに清濁併せ持ったパワフルなものだった、というのはこの後の一日でたっぷりわかったのだけれど。

神社でもお寺でも、臨時に作られた厳重な鉄柵の内側で走り回っていたわけだけれど、その柵の外側には機動隊がズラ〜。見物客ドサ〜ッ。カメラマンが望遠レンズでドーン! なんて調子だから、まるで非武装地帯の市民というか、難民収容所、租界の類いの住民になったような気分だった。

じつに10年ぶりくらいにビデオカメラを長時間回した。
面白いんだけど、やっぱり難しい。
そしてやっぱり思ったのは、運動会や学芸会で我が子の姿をファインダーで追っかけることにばっかり執着してる親たちは、結局何も見ることができないんじゃないか、なんてことだ。
ビデオを回していたのは全体の何分の一かの時間だったし、それに特定個人を追いかけていたわけではないからまだ全体を見ることができたけれど、もし誰か一人だけを被写体にしていたとしたら、それは極めて矮小で個人的なことになっていたと思う。