「座頭市」★4/5

Kakeru2005-01-31


痛快チャンバラ大活劇に大喝采
制約や束縛から解放された市が自由奔放にスクリーンで大暴れ、時代劇的な因習や固定観念をメッタ斬りにする。
娯楽映画に真っ向から取り組んだたけしにバッサリやられた観客は秒殺され、カタルシスの海に放り出される。



原作の映像化でもなく、勝新座頭市のリメイクでもなく、ただただ「座頭市をどうエンターテイメントにするのか」の一点突破に徹底。その潔さが超速居合い抜きで迫る。

まず時代劇としての様式を無視することにスタート。それは、CGの他用でもなくスピードでもない。時代劇ではあたりまえ、というかそれが不可欠になっている「立ち合い」がないことだ。刀を斬り結ぶといった「殺陣」的な要素を排除して、ひたすら市が斬る、斬る、そして斬りまくる! ここには「そろそろ8時40分……」のようなお約束の類いは一切無い。

竹光をヒラヒラ舞わせて大御所が日舞のように動き、斬られた相手はカメラのフレームからサッといなくなる、といった“軽さ”でもなければ、黒澤映画の三船的“重さ”(金属製の居合刀を相手の体にバンバンあててしまう)でもない。とにかくスピード重視、白刃のキラメキが観客の快感に言語道断に訴えてくる。

時代劇的様式(悪く言えば固定観念)から自由になって得たものは、例えばスピード、それに金髪やタップダンスといった「なんでもアリ」の姿勢。そして、時代劇ではお決まりの「勧善懲悪」からも完全に自由になっていて(※1)、それもエンターテイメントとしてのスピード感アップに一役買っている。


※以下はネタバレを含みます


でも、失ったものもあるだろう。刀と刀がぶつかる時の、つばぜり合いやせめぎあいといった要素は希薄なので、一つのクライマックスのはずの市(ビートたけし)VS服部(浅野忠信)の戦いはあっさりとしすぎていて肩透かし。対決を期待していた観客はイマイチ盛り上がれない。

しかし、そういった「時代劇的な期待」を丸ごと裏切ってみせることも。全て織り込み済みだったように思える。スクリーンに展開されるのは時代劇の枠には収まりきらない、たけしのパラドックスで創られた箱庭なのだから。


この映画を「時代に媚びた時代劇」と批判している千葉真一(※2)には『突撃!地獄拳』や『キル・ビル』は「時代劇」的にどうなんだ? と聞いてみたい(僕はそういうのが好きだけど……)

松方部長も「浮かない表情」を見せているみたいだけど、「シルク作務衣」姿の部長を見ると、こっちはこっちで寂しい表情になりそうになる。


というか、『新 影の軍団』自体がどうにも寂しくなっちゃうような微妙さなのだけれど。(CinemaScape座頭市」拙コメントより)


※1

たけし「座頭市イラクの米英軍と同じ」

第60回ベネチア映画祭コンペティション部門に新作映画「座頭市」(6日公開)を出品したビートたけし(56)が2日、映画祭会場で行われた公式会見に出席した。前日行われたマスコミ向け試写会には世界各国1300人の記者が殺到し、入場できなかった記者が続出する人気ぶり。この日の会見も250人の記者が集まった。

映画は宿場町を仕切る悪人を倒す座頭市を描いた。「勧善懲悪の話ですね」と聞かれると「正義の映画だとは思ってない。座頭市が来なけりゃ町人も村人も平和に暮らしてたはずだから、(座頭市は)今のイラク国内における米英軍みたいなもの。同じ殺人マシンだしね」。次回作については「また訳の分からない映画を撮ると思うよ」と話した。 ─ 日刊スポーツ:2003/09/03

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※2

千葉&松方「座頭市」を斬る

時代劇の大御所2人がたけし「座頭市」を痛烈批判?。俳優・千葉真一(64)と俳優・松方弘樹(61)は20日、出演映画「新 影の軍団 第参章〜地雷火〜」(加藤文明監督)の初日舞台あいさつに出席。その後行われた会見の席上で北野武監督作「座頭市」をメッタ斬りにした。

会見の終盤で同作について聞かれた2人。千葉は「時代にこびた時代劇は作るべきじゃない。妙な時代劇が定着してしまうのは恐ろしいこと」と公然と批判し、松方は「外国の賞狙いを意図している。タップとか金髪とかね…。だからこそ我々は『それだけが時代劇じゃない』ってことを伝えていかなきゃ」と浮かない表情で話した。 ─ 報知新聞:2003/09/20