「乱」★4/5
『リア王』の翻案が、なぜ『蜘蛛巣城』に。
後者が『マクベス』そのものよりも秀逸だっただけに残念。原田美枝子も山田五十鈴の通俗的なコピーにしか見えなかった。
そもそも、三姉妹を三兄弟に置き換えたときから、ボタンのかけ違いは始まっていたのでは。
映像と物語にはあれだけ雄弁になれるというのに、こと女性の描写については全く親指だらけになってしまう世界のクロサワ。
本作ではシェイクスピアの原作で三姉妹であるところを三兄弟にしてしまう。
何らかの意図があってのことなのだろうけれど、女性忌避にしか思えない程に男くさく、かつ女性不在の語り口には性的未成熟すら感じてしまうくらいだ。
ピーター演じるところの道化(戦国時代なのだから、幇間というよりは小姓と考えるべきだろう)と、一文字秀虎(仲代達矢)との関係性こそが、この作品の拠って立つところを暗示しているだろう。
本作に限らず、黒澤明は「ホモセクシャル的様式」に帰結してしまうことがよくある。
しかし、それ自体が“様式美”に達していること自体はすばらしい。
『蜘蛛巣城』をカラーでリメイクしたらこういう映像美になりました、という色彩や空気、水の質感を評価。結果★4(CinemaScape「乱」拙コメントより)
『リア王』と『乱』の違いを考えてみると、やはり最終的には宗教観に行き着くと思う。
『リア王』がキリスト教的な神との対決、人間の無力さというものをつきつけてくるのに対して、『乱』に漂うのは仏教的な無常観だ。
多分、どちらも真理であることにはかわらないのだろう。