世代断絶という民族浄化

Kakeru2005-06-04


友よ、コメントに感謝。


> その辺りの世代との話になると、ほぼそういう結果に終わります。疲労感と怒りで寝られない程です。


ちょっと探してみたら、敗戦の年前後に産まれた人にはこういった人たちがいた。

1944年 田中真紀子椎名誠久米宏辺見庸
1945年 佐高信青木雄二池澤夏樹
1946年 菅直人杉田二郎
*1


あまりにもわかりやすすぎて、ちょっと面食らってしまった。
44年には杉良太郎、45年には櫻井よしこがいたけれど、とてもじゃないけど太刀打ちできそうもない。
つまりはそういうことなのかな、と言葉少なに納得させられてしまったような気分になった。

あまりに広がりすぎるので、ここでは椎名誠にだけ話を限定するけれど、彼はじつに戦後的でわかりやすいサヨクのひとりだろう。

僕は彼のスーパーエッセイが大好きで、中学生の頃に「さらば国分寺書店のオババ」や「哀愁の町に霧が降るのだ」といったあたりをよく読んだものだった(NHKでは伊武雅刀がラジオドラマにしていたりした)
多分、高校の頃だ。彼が朝日新聞に小文を寄せていた。
曰く「日本は頭でっかちのファミコン少年である。歴史を持たない未成熟な子供なのに、小遣いだけには不自由していないものだから、調子に乗って無作法にふるまっている」とまあそんな内容だったと記憶している。

そのときは、正直なところ「そういうものかな」と思っていた。
僕が育った自治体は、旧産炭地という土地柄もあってか日教組がとても強く、小中学校から習字(毛筆)の授業を追い出していたくらいだったから、そういう教育を受けてしまっていたのだろう(拙blog「詰襟=軍服」)

そしてもちろん、彼の言っていることは滑稽すぎるくらいにおかしな部分がある。
この世代の人たちは、そういった「歴史認識」をプロパガンダし続けることを錦の御旗にでもしているのだろう。
そういった、絵に描いたような「小日本」がもし事実だとしたら、彼等が鐘や太鼓で触れて回る必要はないだろうし、彼等がそういった認識を心底から信じているとも思いにくい(彼等こそバカではないはずだ)
結局のところ、彼等はそういったプロパガンダを「続けなければならない」という脅迫観念でも持っているのではないだろうか。


つまり、それこそがGHQのWar guilt information programの成功なのだろう。
彼等が日本を隷従させるやり方として、「教育」を選んだのは達見だった。
まさに島国だった日本は本当の意味の「戦争」というものをほとんど体験したことがなく、戦争に負けることで起こる、命を奪われる以上に大変な多くの犠牲に対する想像力に欠けていた。
そうした「民主主義者」が大量に生産されたことこそ、アメリカの勝利なのだと思う。
(※戊辰戦争に関しては、明治政権の戦後処理はGHQ的な側面を持っている部分があるのだが……それはまた別の機会に)




>彼らの正義はアメリカだったり赤だったりする訳ですが(両方をも使い分ける)、自分を棚に上げて親の世代を否定し、自分たちの子供の世代を否定する。


日本人に、日本人としての自覚を持たせない。日本そのものを抱かせないためには「民主主義」でも「サヨク」でもいい。このへんの大雑把で無手勝流のタッチは、さすがのアメリカだと思う。
そして、それは充分に機能している。

日本占領の成功で、彼等が唯一被ったマイナスは、「異教の蛮人を屈服、教化するのはたやすい」というテーゼを妄信してしまったことではないだろうか。
ベトナムでも勝つつもりだったのだろうし、イラクでも勝つつもりでいる。現場の兵士こそ悲劇だろう。
イラクの戦後復興は日本型で行く」
彼等が戦争を終わらせたことにしていたのは一昨年のことだ。それも、国際法逃れのために「終戦」にすらしていない。二年以上経った今、イラクは「戦後」でもなければ「復興」どころの状況になどなっていない。


>同じ言葉、想いはを共有できないのは悲しい。説明しても聞く耳がない。そのうち右翼よばわりされるし。真ん中行くと右に見られるのは世間が左を向いているからだろうか?


もしかすると、彼等にとっては「右」とか「左」とかいうことは、問題ではないのかもしれない。
映画評(「ひめゆりの塔」)として書いたことがあるけれど、史実をねじ曲げても賞賛されるのがサヨクで、史実を取り上げただけで指弾されるのがウヨクという構造の前では、事実の検証とか歴史認識という問題はそもそも存在しない。そこには、用意された結末があるだけだ。

もしかすると、彼等の道徳律は「反日」とまでは言わないにしても、日本的なものや日本そのものの否定にあるのではないだろうか。
僕たちが昭和ヒトケタの、あるいは明治や大正の世代に対して持てるシンパシーや感慨というものがあるとして、そういったものを彼等は積極的に拒否したがっているのだろう。


戦後すぐに産まれた彼等が還暦になってしまったという、残酷な時間の経過は、今後しばらくの日本に容赦なく影を落としていくだろう。
彼等の孫の世代が、中学生とか高校生になってきているわけだけれど、そういった世代に、今、そしてこれから何をどう提示していけるのか。日本という社会は、それを試されていると思う。
そうした若い世代が、「団塊の世代」前後の、いわば日本人としての「失われた世代」を否定してかかるるとして、ロストジェネレーションは単純に口うるさく、時代錯誤な古い人間だというだけではなく、敗戦によってでっちあげられた「キメラ」でもあるということに、気づいてくれたらと願うばかりだ。


僕は、アメリカ軍の艦載機の機銃掃射から走って逃げた父が、そのとき射殺されずに僕の父となってくれたことに本当に感謝している。
人は、それだけでアメリカという国の過去と現在、そして未来を「白馬の騎士」とは思わなくなる。
アフガニスタンは、イラクは、「空爆」されたのではない。日本と同じように「空襲」されたのだと、今こそシンパシーを持たなくてはいけない。

そしてまた、人には想像力があり、時代には変遷がある。
僕は、911テレビ塔WTCのことだ)が倒壊し、テレビが映らなくなったと言う友のことを思う。遥か彼方のペルシャ湾で、艦載機に搭載するミサイルや爆弾をエレベーターで運んでいる友のことを思う。
侵略戦争に直面している友を思うとき、人は「民主主義」のメスでロボトミーされた木偶ではいられない。
彼等のことを思えるは、自分の、そして日本人の、来し方行き方を思うことができるときだけだろう。


どこかの中心で戦争反対を叫ぶだけでは、絶対に平和はやってこない。
平和は、愛ほどはシンプルではないし、ましてや弄んでビジネスにできるようなものではないのだから。

今回は、先月31日の「隣のコミュニスト 全弾発射」に、高校の同窓生が今日つけてくれたコメントに対する返書として書きました。

写真は、東京大空襲の翌朝の浅草界隈。手前が本願寺で、遠くの緑は上野の山か。